07/06/2026
「賞味期限一万年」
Best Before 10,000 Years (Public Domain)
一万年以上の時を内包する「縄文」という概念は、現代の日本人にとって、歴史的事実である以上に、定かではない領域を含めて各々の理想やロマンを投影し共有するための開かれた記号(フィクション)として機能している。私たちは、そのミッシングリンクに原初的な社会構造や生命力、あるいは独自の精神性といった現代的な価値観を代入し、共感の拠り所としてきた。
社会科学的な視点に立てば、この文脈におけるブランクに何かが代入された「模造品」は、必ずしも真正性の欠如を意味しない。たとえ模造されたものであっても、それが人々の間に共通のコードや共感性を生み出すのであれば、それは現代社会における正当な「記号」として成立する。つまり、私たちが「縄文」と呼んでいるものの多くは、現代の私たちが要請し、事後的に構築した一種の超現実的な模造品なのかもしれない。
本作は、あらゆるものが代入できる全受容的な記号としての縄文に着目した、認識論的な試みである。現代人が自らの好む意味を代入し続けるその器(依代)に対して、あえて「意味のなさ」そのものを代入したとき、私たちが緩やかに受け取っている曖昧な定義や暗黙知によって保護されていた前提条件は、認識にどう作用するだろうか。
ダクトテープでバナナを貼り付けるという手法は、現代アートにおいて最も広く知られた、ある種の記号的フォーマットからの引用である。
かつて縄文の意匠性が、誰のものでもなく、誰もが自由に扱える「パブリックドメイン」な共有財産であったように、現代において消費され尽くしたアートの意匠もまた、一種のパブリックドメイン的な形式へと解体されている。
「賞味期限一万年」は記号化された果てしない歴史の模造に、誰のものでもないナンセンスを重ね合わせる。この「意味のなさ」の多重構造を通じて、本作は、現代人が「縄文」という鏡のなかに見出しているものの正体、そして私たちが事物を認識し、意味を発生させるプロセスそのものを問い直す試みである。