茶室建築 Tea-Room

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「霞床席(かすみどこせき)」京都大徳寺の玉林院にある茶室。寛保2(1742)年、大坂の豪商・鴻池了英(こうのいけりょうえい)による建造と伝えられ、了英が茶の湯の師と仰いでいた表千家七代・如心斎天然(じょしんさいてんねん)の指導によるものと考...
28/07/2024

「霞床席(かすみどこせき)」

京都大徳寺の玉林院にある茶室。

寛保2(1742)年、大坂の豪商・鴻池了英(こうのいけりょうえい)による建造と伝えられ、了英が茶の湯の師と仰いでいた表千家七代・如心斎天然(じょしんさいてんねん)の指導によるものと考えられています。

同じく玉林院にある草庵茶室「蓑庵」と連携し、茶事で法要(仏事)を営むことができる施設として工夫されています。その際、この茶室は鎖の間として機能します。

内部は四畳半で、一間の床を構えた板床・踏込床の形式となっています。土間廊下からの上がり口は二枚障子の貴人口で、上には欄間窓をあけています。

床柱は端正な杉の磨丸太、踏込には煤竹を用いて地板を敷き、ほぼ中央の高さに違棚(ちがいだな)を設けています。

書院において通常は床脇に設ける違棚をあえて床の中に用い、書院としても茶室としても異例の構えとなっています。そして、床の間の壁面と違棚の間に富士の絵を掛けることで、この棚が霞のように見えるところからこの席名「霞床席」の由来となったそうです。

天井は一面に格天井。蓑庵は長いすさを使った土壁が特徴的ですが、霞床席は張付壁(※襖を張り付けたような壁)で上部にやや土壁の部分も残しています。

書院の格式と構成を持ちつつ、草庵的な自由な着想がみられる茶室で、蓑庵とともに重要文化財に指定され今も現存しております。

▼大徳寺の茶室をまとめています↓
https://note.com/sakurada_wa/n/nd91aedbb68a1

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「燈心亭(とうしんてい)」水無瀬神宮は大阪府の北東、京都府との境に近い三島郡にあります。燈心亭は水無瀬家に伝来する茶室で、後鳥羽上皇に思慕を寄せていた御水尾上皇(1596〜1680年)から下賜されたと伝えられます(諸説あり)。寄棟造茅葺屋根...
21/07/2024

「燈心亭(とうしんてい)」

水無瀬神宮は大阪府の北東、京都府との境に近い三島郡にあります。

燈心亭は水無瀬家に伝来する茶室で、後鳥羽上皇に思慕を寄せていた御水尾上皇(1596〜1680年)から下賜されたと伝えられます(諸説あり)。

寄棟造茅葺屋根の田舎屋風なたたずまいで、内部は茶室と水屋から成ります。

茶室は三畳台目で、正面には床と違棚。床は蹴込床(けこみどこ)で奥行きは浅く押板風、違棚の三方の壁は白張付です。

正面に床と棚を並べるのは書院造座敷の主室における座敷飾りの定型であり、床脇の中敷居窓を付書院とみ、給仕口は帳台構えとみることができます。

つまり、書院におけるすべての座敷飾りが組み込まれているのです。

天井は草木を張り詰めて草庵風な雰囲気を示しているが格天井であり、張付壁をもつこの茶室は書院造の格調を保つ。

点前座は織部や遠州の好んだ客座中央に配置された形式。客座との間を無目敷居で一線を画されている。真っすぐな中柱に袖壁。

茶の湯の精神性を追求した意匠とは異なり、貴族好みの遊びが随所に見られる茶室です。

重要文化財に指定されており、現存します。

▼国宝・重要文化財の茶室をまとめています↓
https://note.com/sakurada_wa/n/nec15b4b26efd

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「憶昔席(いくじゃくのせき)」京都西本願寺境内の滴翠園(てきすいえん)内に建つ飛雲閣に付随する茶室。寛政7(1795)年9月に席披き(せきびらき)が催され、寺側の記録によると西本願寺十八代門主・文如(もんにょ)を正客に、藪内家六代・比老斎竹...
14/07/2024

「憶昔席(いくじゃくのせき)」

京都西本願寺境内の滴翠園(てきすいえん)内に建つ飛雲閣に付随する茶室。

寛政7(1795)年9月に席披き(せきびらき)が催され、寺側の記録によると西本願寺十八代門主・文如(もんにょ)を正客に、藪内家六代・比老斎竹陰(ひろうさいちくいん)も相伴に加わっていたそうです。当時、文如は比老斎に茶道の相伝を受けており、この茶室はその比老斎の指導・好みで建立されたと考えられています。

内部は三畳半に板間を付けた間取りで、壁はすべて紅壁(弁柄(べんがら)壁)となっています。また、板間には薄縁(うすべり)が敷かれています。

躙口を入るとその板間、座敷とは無目敷居で画された相伴席(※武家流の茶室に見られるお伴のための席、代表的なものに藪内家燕庵など)があり、その先に三畳半の座敷という構成で、座敷は相伴席に対し上段に見立てられます。

相伴席には躙口の他に給仕口もあき、その給仕口を入って左手には仮置棚が設けられています。

座敷には南側に下座床を構え、正面には付書院を設けています。床柱はやや曲がりを帯びた南方産の皮付丸太で、その皮肌から「蛇の目木」と呼ばれるそうで、独特の材が用いられています。それに合わせて相手柱には面(つら)を付けない端正な磨き丸太を立て、二本柱(※床の間が部屋の中央に位置するため相手柱が壁付とならず、床柱と相手柱が対等に近い関係となる手法)としています。

黒塗りの床框、削り木の落掛とあわせ、この席ならではの独特で格調のある床構えとなっております。

茶道口を入って約半畳の踏込畳正面の床脇の壁は下部を吹き抜いています。炉は台目切り、風炉先にはやや大きな下地窓があきます。

床の正面にあたる付書院は、障子をあけると池庭の景色が広がり、池のほとりという立地を活かした趣向となっています。

飛雲閣は京都三名閣(他、金閣・銀閣)とも呼ばれ、国宝に指定されています。憶昔席は水屋を介して飛雲閣「舟入の間」と建て継がれており、飛雲閣に付属する茶室として、また藪内家の作風が示されている席として価値ある遺構となっております。

※一般的な分類として、「待庵・如庵・密庵」の三席を国宝茶室とし、憶昔席(飛雲閣)は含みませんが、ここでは便宜上、「国宝の茶室」のマガジンに含んでおります。

▼国宝・重要文化財の茶室をまとめています↓
https://note.com/sakurada_wa/n/nec15b4b26efd

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「如庵(じょあん)」愛知県犬山市の有楽苑にある国宝茶室。元々は建仁寺の塔頭正伝院に設けられた茶室で、織田有楽斎の作とされています。有楽は織田信長の実弟であり利休と同時代を生きた茶人の一人です。明治6(1873)年正伝院は同じ建仁寺の永源院と...
07/07/2024

「如庵(じょあん)」

愛知県犬山市の有楽苑にある国宝茶室。

元々は建仁寺の塔頭正伝院に設けられた茶室で、織田有楽斎の作とされています。有楽は織田信長の実弟であり利休と同時代を生きた茶人の一人です。

明治6(1873)年正伝院は同じ建仁寺の永源院と合併され、正伝院の建物は四散します。明治41(1908)年に売却され、如庵と書院とは一旦は東京三井家本邸に移されます。

その後、大磯の同家別荘を経て、昭和46(1971)年に犬山城下の有楽苑(現在の地)に移築されました。露地なども復原されており、各地を転々とするも有楽の生まれ故郷の尾張に帰りつき安住の地を得ています。

有楽は、尾張に生まれ武将として兄・信長を助け、本能寺の変後は豊臣氏に仕え、茶人として実力を発揮して秀吉にも利休にも一目おかれる存在となりました。

若い頃から独創的な空間構成をつくりましたが、これは創意円熟した晩年の作とされています。

同時代の茶人・利休が生前取り組んでいた創作の一つに、「四畳半(方形)に中柱を立てる」というのがあり、残念ながら利休は創作前に切腹となりますが、それに思わぬ形での解となった茶室です。

全体は二畳半台目で炉は向切り。ほぼ四畳半に台目床を取り込み、床脇には三角形の鱗板(うろこいた)を敷き込みます。

点前座前の炉の前隅に中柱を立て、風炉先一杯に杉板をはめています。その板を火灯口にくり抜いて点前座に明かりを取り入れた、一見すると台目構えのような構えです。

一般的な台目構えは織部や遠州らの普及させた「客座と点前座を隔てかつ結ぶ台目構えの中心」としての中柱に対して、有楽は「座敷全体の床柱に対するもう一つの中心」として中柱を設定し、統合された空間・独創的な中柱の構えをこの如庵で成し遂げています(これが上で述べた「解」の部分です)

点前座横(勝手側)壁面の窓は、竹を詰め打ちし光を抑制するはたらきを意図した「有楽窓」が設けられ、一方で点前座正面の壁には下地窓・突上窓が風炉先を照らすよう、周到に配置されています。

客座側の入口は躙口で、土間庇に向けてあけられており、正面の袖壁には円形の下地窓があります。

亭主側の入口は一つですが、床脇に三角形の鱗板(うろこいた)を敷いたことにより、そのスペース分亭主の動きにはゆとりが生まれ、この入口が茶道口と給仕口の機能を円滑に果たします。

斜行する壁面は立体としても珍しい景色となっており、ここもまた如庵の特徴的な点です。

以上のように、数え上げればキリがないほど随所に、有楽の独創性がいかんなく発揮されております(まだまだあります)

茶道文化史上屈指の傑作ともいえるこの茶室は、昭和11(1936)年に国宝に指定され、今も現存しております。有楽苑の敷地内には同じく有楽作として復原された元庵や、如庵とともにやってきた書院(旧正伝院書院)などもあり、公開されています。

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「露滴庵(ろてきあん)」広島県尾道市の浄土寺に現存。寺伝によると、元は京都の伏見城内にあった豊臣秀吉公遺愛の席とされています。そこから京都の本願寺を経て、江戸時代に広島の向島の富豪・天満屋(富島家)へ移されたと伝えられます。その後、文化11...
30/06/2024

「露滴庵(ろてきあん)」

広島県尾道市の浄土寺に現存。

寺伝によると、元は京都の伏見城内にあった豊臣秀吉公遺愛の席とされています。そこから京都の本願寺を経て、江戸時代に広島の向島の富豪・天満屋(富島家)へ移されたと伝えられます。

その後、文化11年(1814年)に浄土寺に寄進されたそうです。度重なる移築で当初材はほとんど失われている可能性が高いようです。

入母屋造茅葺の外観が特徴的です。内部は三畳台目の向切、三畳を挟んで両側に台目の点前座と一畳の相伴席がつきます。

典型的な燕庵型式で、現存のものでは最古だそうです。

茶道口の方立に竹を用い、黒塗りの床框と合わせるのも燕庵の特徴。点前座の色紙窓(※中心の軸をずらして上下に連子窓と下地窓を組み合わせる)はじめ、窓の多さも織部の好んだ意匠。

三角の板畳(踏込板)前の給仕口から四畳半の二席と水屋と連なっています。

茶室は重要文化財に指定されています。通常非公開ですが2014年11月に7年ぶりに一般公開されました。

なお、浄土寺は聖徳太子創設と伝えられ、庭園は国の名勝指定されています。

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「春草廬(しゅんそうろ)」神奈川県横浜市の三溪園にある茶室。三溪園に移築前は京都宇治の金蔵院にあり、その時の名は「九窓亭」。大正11(1922)年に移築され園内に建てられたそうです。その後、第二次世界大戦中の昭和18(1943)年に解体され...
23/06/2024

「春草廬(しゅんそうろ)」

神奈川県横浜市の三溪園にある茶室。

三溪園に移築前は京都宇治の金蔵院にあり、その時の名は「九窓亭」。大正11(1922)年に移築され園内に建てられたそうです。

その後、第二次世界大戦中の昭和18(1943)年に解体され、そのまま保管されていたようですが、水屋部分を除く春草廬の解体材は原家から臨春閣とともに横浜市に寄贈。再現されるにあたり水屋部分も寄贈され、昭和32(1957)年に現在地に再現されたそうです。

内部は三畳台目の席で、炉は台目切り。九窓亭の名の通り九つの窓を持ち、台目の点前座に向かい合って床を構えています。

点前座には入隅に釣竹のない雲雀棚形式の二重棚を付け、勝手付側には連子窓と下地窓(※中心軸が揃っているため色紙窓形式ではありませんが、一般的には色紙窓ともされます)、風炉先にも窓があきます。

窓は点前座まわりだけでなく、床に隣り合う壁面および給仕口と向かい合う壁面ともに上下二段の下地窓と連子窓があき、軸のずらし方や組合せなどそのあけ方も特長的な席となっています。

床柱は杉丸太、床框には黒の真塗り、床には墨跡窓があきます。

床に墨跡窓を開ける意匠は織部の好みで、平面構成も燕庵と似ており、他にも随所に織部の特徴も見られます。

諸説ありますが、金蔵院の九窓亭は織田信長の実弟の茶人・織田有楽の作と伝えられており、この茶室は重要文化財に指定されています。

▼東京周辺にある茶室をまとめています↓
https://note.com/sakurada_wa/m/mb2487c6d8824

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「半宝庵(はんぽうあん)」京都の武者小路千家敷地内に現存する茶室。七代・直斎堅叟(じきさいけんそう)が安永元(1772)年に焼失した官休庵を再建する際につくった「一方庵(いっぽうあん)」という茶室が始まりで、何度かの焼失を経て半宝庵と名を変...
16/06/2024

「半宝庵(はんぽうあん)」

京都の武者小路千家敷地内に現存する茶室。

七代・直斎堅叟(じきさいけんそう)が安永元(1772)年に焼失した官休庵を再建する際につくった「一方庵(いっぽうあん)」という茶室が始まりで、何度かの焼失を経て半宝庵と名を変えてきたのがこの茶室だそうです。

全体四畳半(正方形)に桝床を組み入れ、床脇の一畳を点前座にしています。

炉は台目切りで真っ直ぐな中柱と袖壁を立て、点前座側の入隅には上下の棚の大きさが同じ利休流の釣棚。風炉先には下地窓があきます。(風炉先窓)

桝床の地板には松、床柱は赤松皮付、中柱にはコブシ丸太が使われています。

現在のものは焼失後に1881年(明治14年)に再建されたもので、以前は炉は向切りで、聚光院の桝床席のように床脇の風炉先にあたる壁面の下方は吹き抜けていたようです。

半宝庵は躙口も特長的で、板戸を引き違い立てにした横に長い入口となっており、上には連子窓があきます。

▼表千家・裏千家・武者小路千家の茶室をまとめています↓
https://note.com/sakurada_wa/n/n4178fa36cad0

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「半床庵(はんしょうあん)」武者小路千家の茶室。東京都文京区千駄木の官休庵東京出張所に建つ茶室で、もとは名古屋の某家にあったものを大正10(1921)年に現在地(旧久米邸)に移築、昭和34(1959)年に半床庵を含む一画を武者小路千家が譲り...
09/06/2024

「半床庵(はんしょうあん)」

武者小路千家の茶室。

東京都文京区千駄木の官休庵東京出張所に建つ茶室で、もとは名古屋の某家にあったものを大正10(1921)年に現在地(旧久米邸)に移築、昭和34(1959)年に半床庵を含む一画を武者小路千家が譲り受け、現在の官休庵東京稽古場(出張所)としたそうです。

京都の久田家にも同名の茶室がありますが、別のものです。

久田家三代の宗全好みと伝えられています。宗全は江戸前期の茶人であり、客座に台目を効果的に用いた茶人として知られています。

内部は一畳二台目で風炉先に向板の入る茶席となります。点前座を中央に、一畳と台目の客畳をその両側に配し、炉は逆勝手向切に切っています。

点前座の左右に客座を配したこのような間取りは別名「天の川席」とも呼ばれています。

北側下座の位置に床を構え、床脇の茶道口より席に入ると、すぐ右脇の位置には竹の簀子(スノコ)を入れた水屋を設けています。これは、洞庫に代わる工夫と見られます。

さらに、点前座との境の位置に松の曲がり柱を立て、四節の引竹を入れて下部を吹抜いて、水屋の上部の位置に二重棚を釣っています。これらが台目構えの袖壁と同じ構成となることから、一見すると中柱のような意匠となっています。

一畳の客座壁面には色紙窓風な二つの下地窓があき、これは宗全が好んだ形式だそうです(※色紙窓は、軸をずらして下地窓と連子窓を配します)。

宗全以降のつくりではありますが、宗全好みを伝える貴重な遺構として、昭和39(1964)年には東京都の指定有形文化財に指定されています。

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「国宝茶室 密庵(みったん)」国内に現存する国宝茶室(待庵・如庵・密庵)の一つで、江戸前期の茶人・小堀遠州の作。密庵のある龍光院は京都大徳寺の西南の端に位置し、特別公開も含め一切の拝観を行っておらず完全非公開となっています。そのため、他の二...
02/06/2024

「国宝茶室 密庵(みったん)」

国内に現存する国宝茶室(待庵・如庵・密庵)の一つで、江戸前期の茶人・小堀遠州の作。

密庵のある龍光院は京都大徳寺の西南の端に位置し、特別公開も含め一切の拝観を行っておらず完全非公開となっています。そのため、他の二つは見ることができることから「最も見るのが難しい国宝」とも呼ばれます。

密庵は現在、書院の北西隅に組み込まれていますが、当初は独立した建物であったそうです。

内部は床・違棚をもつ四畳半に台目の点前座をつけたもので、書院造が骨格となっています。草庵茶室に見られるような窓はありません。

床は二つあります。

一つは、客座の違棚と並んだ位置の下座床の本床。

二つ目が、台目床の位置にある書院床・密庵床といいます。これがこの茶室最大の特徴ともいえるもので、南宋時代の禅僧・密庵咸傑の墨跡を掛けるために設けられたことに由来します。通常の墨跡よりも異様に大きなことからそれに合わせたものとのことです。

床を前にした台目構えやまっすぐな中柱は遠州的であり、晩年にかけて書院の茶室を完成させた遠州の美意識が随所に見られます。

中柱は一面に手斧目を施したまっすぐの杉丸太、釣棚を設けた草庵風にまとめていますが、壁は狩野探幽の水墨画の張付壁(諸説あり)で、完全に書院座敷の意匠です。

これはまさに遠州が生涯取り組むことになったテーマ「書院造りの中に利休の完成させた草庵を組み込む」という茶室の書院化です。

本床の床框は黒の真塗り、違棚は「龍光院棚」といわれる複雑な形をしています。地袋と天袋は松花堂昭乗(※江戸初期に本阿弥光悦らと「寛永の三筆」と称せられた異色の芸術家)の筆といわれています。

侘び草庵の大成者・千利休の待庵が二畳空間の中に自己の深淵を表現した美に対し、この密庵は四畳半という広さを草庵化しながらもあくまでも武士の日常空間である書院の延長上にまとめている。

そんな対比もおもしろい国宝茶室は、現在国内に三つ。

また龍光院には、南宋時代の天目茶碗の中でも、いくつかの条件が重なり特に最上級とされる三碗のみの国宝「曜変天目茶碗」の一つを所蔵するのもこのお寺です。

▼国宝・重要文化財の茶室をまとめています↓
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「松月亭(しょうげつてい)」京都 醍醐寺の子院・三宝院にある茶室。内部の杉戸の鴛鴦図(おしどりず)は岸良(1792~1852年)の筆によるものであることから、江戸時代末期に造られたものと推定されます。東南の角柱が庭の池中の根石に支えられてお...
26/05/2024

「松月亭(しょうげつてい)」

京都 醍醐寺の子院・三宝院にある茶室。

内部の杉戸の鴛鴦図(おしどりず)は岸良(1792~1852年)の筆によるものであることから、江戸時代末期に造られたものと推定されます。

東南の角柱が庭の池中の根石に支えられており、池の上にせり出すように建っています。

内部は四畳半本勝手で、東面の壁に大きな円窓があるのが特長的です。

南面の壁は、東側に貴人口と池の上に竹簀子の縁、西側には躙口が設けられています。躙口の上には連子窓があきます。

亭主側の入口は火燈口形式の茶道口と、くの字の位置に二枚襖の給仕口が並びます。これらの位置から床前の貴人畳が点前畳となり、一種の亭主床の形式となっています(※亭主床の代表的な席は西芳寺湘南亭や慈光院の茶室など)。

北面には点前座勝手側に床の間を設け、床柱は椎(しい)の磨き丸太、床框は虫喰いの松丸太を取り合わせています。池側の脇壁には低い位置に花明窓をあけています。

大きな丸窓からは池が顔をのぞかせ、外部との繋がりが見事に調和した席となっています。

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「芭蕉庵(ばしょうあん)」京都の金福寺にある茶室。元禄年間(1688年~)に俳聖・松尾芭蕉(1644~1694年)がこの庵に滞在して句をつくったそうです。その庵は荒廃し形も無くなっていたところ、江戸中期の俳人・与謝蕪村(1716~1784年...
19/05/2024

「芭蕉庵(ばしょうあん)」

京都の金福寺にある茶室。

元禄年間(1688年~)に俳聖・松尾芭蕉(1644~1694年)がこの庵に滞在して句をつくったそうです。

その庵は荒廃し形も無くなっていたところ、江戸中期の俳人・与謝蕪村(1716~1784年)がその荒廃を惜しみ一門と共に再興したのが、この芭蕉庵と伝えられています。庵の近くには蕪村のお墓もあります。

内部は三畳台目に踏込床形式の台目床で全体四畳半の広さとなります。

床脇の壁は下方吹抜けで、隣には台目畳に炉は隅炉に切っています。

南と東の二方は障子を立て、外側には縁をまわしています。また、小高い丘の上に建っているため、西側の窓(障子建)から京の街が一望できるそうです。

近くには、宮本武蔵が吉岡一門の門下生数十人と闘ったという「一乗寺下り松」の旧跡があり、そこから約200メートルほどの距離に昔ながらの姿で佇んでいます。

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「鬼瓦席(おにがわらのせき)」京都の高台寺にある茶室。境内の方丈、書院の背後に位置し、遺芳庵とは露地を隔てて向かい合うようにして建っています。江戸初期の豪商・灰屋紹益(じょうえき・1610~1691年)(※本阿弥光悦の甥を父に持ち、幼少期に...
12/05/2024

「鬼瓦席(おにがわらのせき)」

京都の高台寺にある茶室。

境内の方丈、書院の背後に位置し、遺芳庵とは露地を隔てて向かい合うようにして建っています。

江戸初期の豪商・灰屋紹益(じょうえき・1610~1691年)(※本阿弥光悦の甥を父に持ち、幼少期に豪商・灰屋の養子となった)遺愛の茶室と伝えられます。

この茶室はもとは遺芳庵(※紹益の妻・吉野太夫(1606~1643年)遺愛の席と伝わる)と同じく、紹益邸内にあったそうです。

その後、千家十職の駒澤利斎が所有していたこの茶室を、明治41(1908)年に京都の美術商・土橋嘉兵衛が譲り受け、高台寺に移築したそうです。

もとは妻面に楽焼の鬼瓦が掲げられていたので、「鬼瓦席」と名付けられたそうで、その鬼瓦は今は点前座勝手付の壁面に掛けられています。楽家四代・一入の作と伝えられています。

内部は四畳半で、躙口正面の位置に台目床を構えています。床の横には付書院が設けられ、明り窓には障子を引違いに立て、下は地袋としており板戸を建てています。

同じ面の壁面には三枚障子の貴人口があいており、やや腰が高めの障子が用いられています。

客側の入口として躙口があり、その上には下地窓があいています。

亭主側の入口には火灯口形式の襖と二枚襖の勝手口が設けられ、茶室というより居間や客間のような意匠となっています。

点前座には上記の鬼瓦が掛けられ、入隅は楊枝柱としています。

天井の構成などは利休流の草庵風な四畳半を基調にしつつも、付書院を設けることで書院的な格式をもたらしています。

掲げられた鬼瓦や三枚障子の貴人口など他では見られない特色ある席となっており、今も高台寺に現存しています。定期的に茶会が開かれているそうです

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住所

京都市北区紫野大徳寺町74
Kyoto-shi, Kyoto

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