Sharing Your Stories

Sharing Your Stories 入試や就職ではなかなか評価されにくい分野の「スキ!」を自分の言葉で表現できる居場所作りを目指します。

🌹Work Life Integrationの実現に向けて〜Sharing Your Storiesのメンバーとして新規事業に携わりませんか?【WE WANT YOU】〜🌹0。代表よりご挨拶ポストやページをご覧いただいたみなさまこんにちは。...
15/11/2020

🌹Work Life Integrationの実現に向けて〜Sharing Your Storiesのメンバーとして新規事業に携わりませんか?【WE WANT YOU】〜🌹

0。代表よりご挨拶
ポストやページをご覧いただいたみなさま

こんにちは。代表の夏鈴と申します。

本年2月28日の団体発足以降、2022年夏の法人化を目標とし、現在は対内環境を整えながらメンバー同士の親交を深めております。

4月度より長らく固定ポストを更新しておりませんでしたが、コロナ禍は依然として続き、今冬は寒さも相まって「(おこもり)おうち時間」が一層加速しそうですね。

そんな「おうち時間」に対するわたしの考えを、4月5日(日)のポストから一部引用いたします。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「おうち時間」は素敵です。

少なくとも、日本は「明日の心配」をせずに生きられる恵まれた環境です。
水は蛇口をひねれば出て、電気はスイッチ一つで点いて、ガスはボタンを押せば燃え出して、こんなに良い環境はそうそうありません。ですので、陰鬱となるお気持ちは察しますが、こんなに恵まれた「おうち時間」を過ごせる国の人はなかなかいないと思っていただきたいし、だからこそ充実した時間を過ごしていただきたいなぁと思うのです。

緊急時は、平時に「できたこと」に固執しがちですが、発想の転換でいくらでも前向きになれるはずです。今日も明るく笑顔で過ごしましょう😊🌹

「笑う門には福来たる」ですよ🤗
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

このような気持ちは、7ヶ月経った今も変わりません。

「問われるは、肩書きでも学力でもなく、創造力や適応力などの人間力である。」(本田圭佑選手のTwitterより)

「人間力」は定量的に判断できるものではないですが「どれだけの人に愛され、必要とされるか」という尺度で測られるのではないか、とわたしは考えます。

「おうち時間、どこか寂しい…」
「在宅勤務になっても、頭の中はお仕事ばかり…」
「コロナの影響で、先が見えない…」
そんな貴方/貴女にこそ、ぜひ参画をご検討いただきたく存じます。

どうぞ気兼ねなくご連絡くださいませ🥰🌹

1。SYSについて
目指す姿/設立背景/活動内容/団体名の由来は、4月3日(金)のポストをご覧ください。

■組織構成(2020年11月15日(日)時点)
「執行部(代表・代表補佐)/代表室」

「幹部」
…各部(「渉外部」「エンジニアリング部」「総務部」「企画部」「広報部」)の管理職で構成されます。

「全体」
…各部およびその下にある各課に所属していただき「一人一役」を担っていただきます。
☆階層の外に「顧問」「経理/法務部」を設置しています。

■構成メンバー(2020年11月15日(日)時点)

「執行部」
→代表:Karin Lynne
→代表補佐:岡知花/喜多倫久/松島徹
→代表室:岡松太史

「幹部」
→阿部成沙/石井聡子/内田ひかる/越後紳平/大澤みりあ/岡田直樹/岡本悠希/小澤早紀/河野美咲/岸波秀美/黒岩愛/古林慧一/🇳🇱米谷紗由美/庄村理沙/舘咲奈/立野勝士/田中彩琳/辻角桃子/中村健太郎/新妻ちさ/西原総司/林実花/藤武和希

「顧問」
→特別顧問:中島小円さん
→滝澤三郎先生
→ちょんまげ隊長・ツンさん
→野馬口こうすけさん
→二瓶直樹さん

2。求人情報
(0)すべてに共通する条件
■日本語でのコミュニケーションを円滑に取ることができること。
■Facebookアカウントを持っているか、これを機に作っていただけること。
■Slackに用いるメールアドレスを持っていること。
■他者の思想・良心・信教を否定せず、リスペクトできること。
■公序良俗に反する行為をしないこと。
★ちなみに、"Anytime from Anywhere"が原則なので、日本各地/世界各国から参加してもらっていましたが、海外組はコロナの影響で大半が帰国いたしました。

(1)「幹部」
■代表である私と知り合いであること。
■平成生まれであること。
■熱量を持っていること(これは、フルコミットをお願いするのではなく、コミットするときには、ぜひ熱くなっていただきたいという意味です)。

(2)「顧問」
■代表である私と知り合いであること。
■昭和生まれであること。
☆幹部組織が大きくなることが予想されるため、同世代の発言のしやすさを担保すべく「顧問」という形でご協力いただきたく存じます。

(3)「全体」
■代表である私と知り合いである場合、Facebookで連絡を取り合い、加わりたい理由をお伝えいただけること。
■代表である私と知り合いではないが、幹部メンバーと知り合いである場合、Facebookで、ご自身・紹介者(幹部メンバー)・私の間でグループ連絡を取り合い、加わりたい理由をお伝えいただけること。
■代表である私とも、幹部メンバーとも知り合いではない場合、代表である私と電話面談を設定させていただき、加わりたい理由をお伝えいただけること。

3。応募期限
(1)「幹部」
継続募集いたしますが、2021年3月31日までを一旦の期限といたします。

(2)「顧問」(3)「全体」
期限を設けず募集いたします。

4。お問い合わせ
Messenger DM:私と知り合いの方は私宛、幹部メンバーと知り合いの方は彼/彼女宛、弊団体関係者と知り合いでない方は私宛に自己紹介付きでご連絡ください。

【 「   」Vol. 17〜ブラジル🇧🇷・サンパウロ〜(執筆:田中彩琳)】 SYSでは、「   」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの...
26/06/2020

【 「 」Vol. 17〜ブラジル🇧🇷・サンパウロ〜(執筆:田中彩琳)】

 SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

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 友人とふたり、バレンタインの夜に東京を出て地球を西回りに半周。ブラジル🇧🇷・サンパウロ(São Paulo)に着いたのは2月15日の夕方だった。時差を考慮するとざっくり2日半。長いようだが地球を半周したと思うと、途端に、そんなもんでいいのか、という気になる。思いのほか簡単に地球の裏側へついてしまったようだ。

 翌日、私と友人は現地では一般的だというネットでのタクシー配車サービスを使って、サンパウロの中心にあるセー教会(Igreja da Sé)へ向かった。ゴシック調とルネサンス様式の融合だというその建物はシャープな淡い緑色の屋根を持つ。頂点の十字架は晴天に掲げられていて、仰ぐとまぶしい。釣鐘型の窓や入口にたくさんの装飾が施されているのを見ると、なるほど、ゴシック調かと分かった気になった。南米のイメージはぼんやりと曖昧だったが、案外ヨーロッパに近いのかもしれない。

 中に入ると礼拝の席は人々で埋まっており、神父と思しき方の声がスピーカーを通して流れていた。そう言えば今日は日曜日だ。中ではミサが行われていた。壁伝いに静かに歩み入ってみると他にもいくらか観光客らしい人たちがいる。ミサはその独特の雰囲気を広い聖堂に充満させながら重々しく進む。終盤になったとみえ、パイプオルガンの音がやわらかな圧力をもって響き渡った。南米の強い日差しを受けたステンドグラスが色鮮やかに映えていた。

 突如、隣にいた見知らぬおじさんに手を差し出される。ポルトガル語で何か言っているがわからない。物乞いだろうか。首を振って違う方を向いた。するとそのおじさんは、別の人にも手を差し出した。相手は朗らかな顔でその手を握りかえしている。なるほど、ミサの終わりに周りの人と握手をするのか。断ってしまって悪いことをした、という気になり、いま一度そのおじさんの方に向き直って、今度は私から手を出した。おじさんは、一層朗らかな笑顔で握手をしてくれた。

 教会を出る。うだる暑さの下、広場には明らかに観光客ではない人々がたくさんいた。着古した薄っぺらなTシャツのまま石畳に寝転ぶおじさん。帽子から靴まで真っ白に身を固めて、宗教の勧誘らしき声掛けをしているおじさん。朝から酔っているのか、へなり、へなり、と歩いてポルトガル語で話しかけてくる歯の欠けたおじさん。私と友人はその間を抜けながら広場の端へと歩いた。

 陽気な緊張感が漂う。普段過ごしている街とは空気の質がまったく違う。そのことに恐れを覚えつつ、一方で旅の醍醐味ともいうべきこの新鮮な感覚に高揚する自分もいた。

 教会の裏を通って、市場が開かれているという東洋人街へ向かう。サンパウロは、1900年代前半から新天地を求めた多くの日本人が移住した都市だ。私がテスト前夜のごとく出国直前に読みこんだ歴史書によると、彼、彼女らはこの地でコーヒーを中心とした農産業の一翼を担ったという。しかしなぜあえて地球のちょうど裏を選んだのかは載っていなかった(これは後に20代の日系人に聞いても「たしかになんでだろう」という返事だった)。

 少し歩くと、交差点の向こうから赤提灯を模したと思しき街頭が連なるのが見える。なかなか目立つ。東洋人街は生活の場であると同時に観光地だ。日本より日本らしいとは妙なことだが、象徴的な物をことさらに取り上げた街づくりはそこはかとない歯痒さを残す。しかし草分けが独自の発展を遂げるのは生命幾億年の理。ブラジルに渡った日本のあれこれが100年余りを経ていかに息づいているのか、楽しみに思いつつ交差点を渡ろうとした。そのとき。

 私の15㎝となりを自転車が走り―びゅん―と風を感じた。反射的に身をすくめながら前を見ると、先に歩いていた友人の手からiPhoneが奪い上げられている。私たちは状況を飲み込まぬまま、本能的に叫んだ。一瞬のことだった。ひったくりは浜辺で人のおにぎりを奪う鳶のごとく走り去る。その自転車が見るからに速そうなスポーツタイプだったことが、なお恨めしい。そして私たちがひと息分を叫ぶ間に、ひったくりは見えなくなった。為す術もなく、立ちすくむ。通行人が手のひらを下に向けて「落ち着いて、落ち着いて」とジェスチャーしていた。

 それからその場で、このあと何をしたらいいのか考えた。怪我はないか。他に取られたものはないか。とりあえず大丈夫そうだ。とにかく連動させているクレジットカードを止めねば。そのためには私のiPhoneをインターネットに繋がねば。私たちはカフェを探して歩き出した。東洋人街に入ると人が増え、今度はスリに遭うのではないかと肝を冷やす。自分の斜めがけ鞄を手で押さえて、屋台が密集する市場を抜けた。最初に入ったカフェは、カウンター越しに聞くとWi-Fiは無いとの返事。もしや、どこもそうなのだろうか。滞在する家まで帰るとなると、1時間近くかかる。不正利用には十分な時間だ。落ち着いてきた心にふたたび焦りが走る。

 そうしてしばらく歩きまわると、道の反対側に見慣れた看板、赤い背景にMのマークが見えた。マクドナルドだ。ここならきっとインターネットに繋げる。入ってみると案の定、カウンターで聞くまでもなく私のiPhoneがWi-Fiを見つけ出した。

 ここがどれだけ新天地に見えようと、結局こうして頼るのは馴染んだチェーン店。そして自分の身体がどこにあろうと、困ったときに駆け込むのはインターネット空間。現代人たる自分に新天地などもはやないのかもしれないと、ふと思った。

 こうしてマックで特大のジンジャーエールを飲みながら、諸々の手続きを済ます。カードを止めて、iPhone自体もロックした。ひと段落。そして思う。人はこんなにも躊躇なく他人の所有物を奪えるものなのかと。

 のちにこの日は70件以上の盗難届が出されたと聞いた。手慣れとみえて、被害者には観光客のみならず現地在住者もいたそうだ。普段よりも多いのは、在住者いわく、カーニバルの直前ゆえ手持ちの金がいつも以上に欲しかったのではないかとのこと。さらわれたスマートフォンは専門の取引人に買い取られるというから、即日で金になるのだろう。ひとつのビジネスとして組織化されている。

 しかし彼らはその汚い金でいったい何を買うのだろう。酒や食事だろうか。ドラッグだろうか。彼らはその心に一点のくもりもなくカーニバルを楽しめているのだろうか。どんな身の上で何を考えているのか全く分からないし、その問いに対する答えの見つけ方さえ私は想像することができなかった。

 配車アプリを使ってタクシーを呼び、滞在している知人宅に戻る。ふかふかとした座席に身体を沈めても、頭は緊張状態を脱せずにいた。これがアドレナリンというやつか。いつも通りの体にいつもの1.2倍の心が入っているような、密度の高い自分を感じた。

 あとで知ったことだが、セー教会の裏は現地在住者でも好んで近づきはしない治安の悪い区域だった。泊めてくれている家族へもっと相談していれば、と思ってもあとの祭り。この洗礼は、己が危機管理への警告として真摯に受け取らねばならない。私たち自身に怪我のなかったことだけは不幸中の幸いだ。

 サンパウロ。分からない事ばかりのこの街は、地球の裏から飛んできた私たちに鮮烈な歓迎をくれた。

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 正直、好印象とは言えなかったブラジル🇧🇷。だからこそもっと知りたい、もっと深く入りたいという気になります。ポストコロナ社会はオンライン/オフラインを組み合わせて、観光地だけでない世界のリアルを知れる社会にしたいなぁ、なんて。

【 「   」Vol. 16〜スペイン🇪🇸・サンティアゴ巡礼路〜(執筆:内田ひかる)】 SYSでは、「   」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つ...
25/06/2020

【 「 」Vol. 16〜スペイン🇪🇸・サンティアゴ巡礼路〜(執筆:内田ひかる)】

 SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️
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 「カミーノ・デ・サンティアゴ(Camino de Santiago)」、NHKプレミアムで、60分×3回シリーズで特集を組んでいたので目にした方もいるかもしれない。フランス🇫🇷やポルトガル🇵🇹などヨーロッパの様々な地域から、スペイン🇪🇸北西部にあるサンティアゴ・デ・コンポステーラ(Santiago de Compostela)大聖堂へと続く巡礼路のことだ。スペイン版お遍路と言ったところか🤔

 もともとは中世に始まる「神への信仰を表す旅」だったが、長いルートだと総距離1500kmにも及ぶ道のりを踏破することが昨今一大ブームになっているという。
 巡礼を始める理由は実に様々。信仰や明確な信念を持ちながら歩く方もいれば、長い道のりを歩きながら理由を見つける方もいる。

 私の理由は結局よくわからないままだったが、おそらく私史上最大限に五感を研ぎ澄ませ、体力的にも精神的にも自分を追い込み、癒した3週間だった。

 キリスト教徒ではないのに、癒しを求めて大聖堂や教会に足繁く通ったし、スペイン人のように昼過ぎには ”siesta(昼寝)😴” をした。ブドウ畑が延々と続く道で、誰かから聴いた「公道にはみ出ているブドウはみんなのもの🍇」という教えに則り、ブドウを摘みながら歩くのも、フォークが豪快に垂直に突き刺されたオムレツやケーキを食べるのも、現地を味わっている感覚があって大好きだった。星が空一面に広がり、あたりがシンと静まりかえり澄み切った冷たい空気の中を夜更けから歩き出すときの、あの感覚。きつい勾配の山道を登り切って、ふと後ろを振り返って味わう達成感。書き出したらキリがない。

 中でも強烈に印象に残っている場面がある。
 雲一つない空から太陽が照りつける中、日陰が全く存在しない直線道を、私は無言で歩いていた。のちに分かったのだが、この時私は人生初の日射病にかかっていたらしい。話しかけられても返事ができないくらいの気持ち悪さと格闘していた私は、巡礼の足を引っ張りたくなかったので、一緒に歩いていた友人らに「私に構わず歩を進めてほしい」と伝えた。そうすると、返ってきた言葉が、 ”If you wanna go fast, go alone, but if you wanna go far, go together(早く行きたければ一人で、遠くに行きたければみんなで。).”
 早くたどり着かなきゃいけない理由もないしね😉、とも言われたのだ。正直とっても救われた。
 この言葉はサンティアゴ巡礼を表すのにぴったりだと思う。体調不良や足の痛み、南京虫に襲われたときも、宿泊宿が満室続きで途方に暮れたときも、その場に居合わせただけなのに皆親身になって助けてくれる。感謝してもしきれずに溢れた想いは、別の誰かの力になることで消化する。こうして、サンティアゴ巡礼は成り立っているのだろう。

 残念ながらCOVID-19の影響で、今年は欧州以外からの巡礼は厳しいようだ。とりあえず今は、早く自由に旅行できるようになりますように、そしてより多くの人が「疲れた心身を癒しに試してみることリスト」にサンティアゴ巡礼を加えてくれますように、と願うのみだ。

 Buen camino! (良い巡礼を!)🚶‍♀️🚶‍♂️

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【 「   」Vol. 15〜ネパール🇳🇵・カトマンズ〜(執筆:越後紳平)】↓↓より下の文をお読みになる前に、コメント付き写真をご覧ください。ネパールへと皆様をお連れいたします。パスポートは要りませんが、想像力が必要になります😊では、行って...
22/06/2020

【 「 」Vol. 15〜ネパール🇳🇵・カトマンズ〜(執筆:越後紳平)】

↓↓より下の文をお読みになる前に、コメント付き写真をご覧ください。

ネパールへと皆様をお連れいたします。パスポートは要りませんが、想像力が必要になります😊

では、行ってらっしゃいませ✈️

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いかがでしたでしょうか。

ーネパール渡航した僕の感想ー

「自分は無力」
 国際協力に憧れをもっていた僕が、大学1年生で初めていわゆる「低所得国」に渡航し、得たものはまさに無力感。ネパールのパワーに負けたのかもしれません。
 「僕はこういう人間だ!」と言える何かが必要だと思いました。
 これを機に、大学院進学の選択肢を考え始めたのでした。

*SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

【SYSの  #世界難民の日 の過ごし方(執筆:内田ひかる)】 みなさまこんばんは🌙 本日、6月20日は「  #世界難民の日(World Refugee Day)」。国連が制定した国際記念日の一つです。 目的は「難民の保護と援助に対する世界...
20/06/2020

【SYSの #世界難民の日 の過ごし方(執筆:内田ひかる)】

 みなさまこんばんは🌙
 本日、6月20日は「 #世界難民の日(World Refugee Day)」。国連が制定した国際記念日の一つです。
 目的は「難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、国連難民高等弁務官事務所(以下UNHCR)を含む国連機関やNGOによる活動に理解と支援を深める日にする」(UNHCR HPより抜粋)ことにあります。
 あまり知られていませんが、毎年6月20日、日本を含め世界各地で難民支援の連帯の証として、様々なイベントが開催されています。
 UNHCRは、今年のテーマとして” ”「 #一人ひとりにできることを 」を掲げました。
 そこで、私たちSYSメンバーも「自分にできることは何か」考えてみたので、記念にパシャリ(記事の写真です)。

 どうしてもこの日に向けてアクションをしたかったのは、難民問題を他人事にしたくないと考えるためです。

 2018年の時点で、およそ7100万人の方々が故郷を追われています。

 データで見ると、最も多くの難民を出している国は、シリア、アフガニスタン、南スーダンで、最も多く難民を受け入れている国はトルコ。
誤解を恐れずに言いますが、他の国地域と比べると、確かに日本を目指して来る難民も、日本に住むことを認められる難民も数が少ないことは事実です。
 しかし、アジア諸国はもちろん、遠いアフリカ大陸、中東地域などから自由と安全を求め渡日する難民の数は、ゼロではありません。データやニュースで語られない、一人ひとりの生活があるという当然のことを忘れてはいけません。
 藁にもすがる思いで支援団体に足を運ぶ方がいる一方で、かわいそうな存在と思われたくないとお考えになり自活する方もいらっしゃいます。

 難民問題に取り組む動機や姿勢は、一様には語れないと考えています。
 「自分もいつ難民になるかわからない」
 「自由と安全を求める同志として力になりたい」
 「生命の危機に晒されている方に手を差し伸べることは当然のことだ」
 「国際社会の一員である限り少なからず責任がある」
 わたし自身は、ゼミの研究や、学生団体での活動で難民問題と関わる中で、動機も姿勢も少しずつ変化していきました。
 私たちはみな地球市民である限り、難民問題に向き合うことをやめてはならないと考えています。

 テニスプレイヤーの大坂なおみさんがBlack Lives Matterについてツイートされていらした言葉が、まさに核心をついていると感じたので引用します。
 "Just because it isn’t happening to you doesn’t mean it isn’t happening at all."(「あなたの身に起きていなくても、それは何も起きていないということを意味しない」)

 精力的に活動できない、する気力がない…という方も多いのではないでしょうか。しかし、ご多忙の折、そして社会が楽しい情報で溢れる中、この記事を読んでくださったことで、なんとすでに「 #一人ひとりできることを」実践していらっしゃるのです!
 ありがとうございます。

 難民問題を他人事だと思わず、難民たちに思いを馳せ、自分にできることは何か考えてみる…SYSは、このような過ごし方を実践します!

※この記事で使用している「難民」という言葉は、難民条約上定義された条約難民の範囲を越え、理由を問わず、生命の危機に晒され故郷を離れなければならない方々のことを広く捉えて使用していることをご承知おきください。

【 「   」Vol. 14〜 ペルー🇵🇪・マチュピチュ〜(執筆:阿部成沙)】 SYSでは、「   」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバー...
15/06/2020

【 「 」Vol. 14〜 ペルー🇵🇪・マチュピチュ〜(執筆:阿部成沙)】

 SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

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 マチュピチュ(Machu Picchu)といえば、誰もが一生のうちに一度は行きたいと考える旅行先のひとつであろう。
 ペルー🇵🇪に留学していたわたしも例に漏れず、せっかくここにいるのだから留学中に行きたいと考えていた。そして私の家族も、留学中に私の元を訪ねるついでにマチュピチュを見たいと考えていたので、2019年の夏に家族総出で訪れた。
 本稿では、マチュピチュのおすすめポイントを3つお伝えしたい。

👉1。秘境中の秘境へ足を踏み入れる経験をする!
👉2。マチュピチュの歴史に触れる!
👉3。現地の方々や動物たちと触れ合う!

それぞれ言及しよう。

👉「1。秘境中の秘境へ足を踏み入れる経験をする!」
 マチュピチュに行こうと思い立った時、まず最初に「どうやって行くのか」とお考えになるだろう。
 日本からペルー🇵🇪に行く場合、直行便はないため、乗り継ぎが必要で、合計で24〜30時間のフライトとなる。
 加えて、マチュピチュに行く場合は、首都・リマ(Lima)から国内線に乗り換え、空港のあるクスコ(Cusco)から観光列車で4時間。この最短ルートで行くとしても相当な時間がかかる。
 マチュピチュへ行くことが決まったら、次に、自分の身体と向き合わなければならない。
 日本から訪問する場合は、長旅で相当疲れているはずだ。その疲れと上手に向き合わないと、高山病になるリスクが高くなってしまう。
 リマは、海岸沿いに位置するため全く高山病の心配はないが、クスコは、標高約3000mである。飛行機でクスコに向かう場合、標高差で苦しくなることがあるようだ。
 現地の方々は、高山病予防にとコカの葉を噛む。私も、山に登る時やクスコに到着してすぐの頃は、よくコカの葉に助けられていた。
 このように、「どうやって行くのか」の他に「自分の身体とどのように向き合うか」ということを考えないと、マチュピチュへ辿り着くのは難しい。
 だからこそ、あのマチュピチュ遺跡と山の景色が見えた時の達成感は、何にも代え難い大きな財産なのである。

👉「2。マチュピチュの歴史に触れる!」
 現在、マチュピチュ観光はガイドの同伴が必須である。
 私たちには、日本語の話せるガイドさんがマチュピチュの歴史を詳しく教えてくださった。
 マチュピチュが発見されたのは、凡そ100年前と比較的ここ最近の話であり、まだまだ謎の多い遺跡である。
 「マチュピチュ」の意味は諸説あるようだ。現地で話されるケチュア語では、「マチュピチュ」は「古い峰」という意味である。
 この遺跡が発見された当時、近くに住む住民に遺跡の名前を聴いたところ、彼らは、目の前にある山の名前を取って「マチュピチュ(古い峰)」と教示したのだという。そのため、インカ帝国時代にこの遺跡が何と呼ばれていたのかは、未だ謎であるのだ。
 この他にも、石造りの建物の石は切り出されたものではなく、原型をとどめているにも関わらず、ぴったりと組み立てられている、といった人々の暮らしの知恵について知ることができ、数百年前の暮らしに想いを馳せることができる。

👉「3。現地の方々や動物たちと触れ合う!」
 現地の方々は本当に社交的で、誰に対してもフレンドリーである。その日は、国内の中学校から修学旅行に来た子どもたちが、ちょうど同じ時間帯にマチュピチュに入場した。
 彼女たちにとって、日本人4人でいたことが珍しかったのか、日本のことをいろいろと聴かれたものだ。本当に人懐っこい子たちで、マチュピチュ観光を終える頃には私たちとの別れを惜しんで泣いていた。「なんと心の綺麗な子たちなのだろう!」と思った。
 また、ペルー🇵🇪といえばアルパカが連想されると思う。
 残念ながら、私がマチュピチュに行った時にはアルパカはいなかったが、リャマというアルパカの仲間が遺跡の中を自由に散歩していた。その他にもウサギやリスもいた。
 マチュピチュに限らず、この国の観光地全体を通して言えることだが、観光地が自然に囲まれていることから、こういった動物との触れ合いも楽しみの1つである。

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 ペルー🇵🇪は、日本のニュースではあまり取り上げられませんが、COVID-19の影響を大きく受けている国のひとつです。
 国内では、外出禁止令を3月中旬から発令しているものの、感染者数が増加し続けるという、何とも不気味な現象が起こっており、現地にいる私の友人たちは不安な毎日を過ごしています。
 海外旅行ができるようになった時に、現地へ積極的に足を運ぶことも、私たちができることのひとつであると考えています。
 ポストコロナの旅行先のひとつとしてペルー🇵🇪を、そして、マチュピチュを選んでくださるととても嬉しいです。

【 「   」Vol. 13〜ドミニカ共和国🇩🇴・サントドミンゴ〜(執筆:野宮亜華沙)】 SYSでは、「   」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持...
13/06/2020

【 「 」Vol. 13〜ドミニカ共和国🇩🇴・サントドミンゴ〜(執筆:野宮亜華沙)】

 SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

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 「音楽とともにある陽気な国」
 これこそ、わたしが最初に抱いた印象だ。

 中南米のカリブ海にあるイスパニョーラ島の東部3分の2を占める国が、ドミニカ共和国🇩🇴である。人口は1000万人ちょっとの国だ。

 わたしは、青年海外協力隊員として2年間、この国の方々と正面から向き合い、共に廃棄物問題を解決していきたいと足を踏み入れた。
 COVID-19の影響で、わずか3か月しか滞在できなかったが、わたしが現地で感じ取った、「(この国の)国民性」の紹介を通じて、みなさまにドミニカ共和国🇩🇴を想像してもらいたい。

 まず、首都・サントドミンゴ(Santo Domingo)に到着して驚いたのが交通マナーの悪さだった。
 ドミニカ共和国🇩🇴は中進国であり、中南米の中では経済が発展している。そのため、首都・サントドミンゴには、ある程度のビルが立ち並び、道路も整備され交通量も多く車の往来が激しい。
 問題は、その運転の荒さだった。東南アジアやアフリカなど数十ヶ国の滞在経験者でさえも「ドミニカ共和国🇩🇴の交通ルールが一番悪いと思う」と仰っていたので、わたしが抱いた感覚も間違っていなかったのだろう。
 自分が「行ける!」と思ったら、赤信号で周りに車があろうと信号無視をする車もよく見かけたものだ。バイクなんかは、車の隙間と隙間をぬって勢いを落とさずに直進してくる。それゆえ、歩行者が交差点を歩く際は、相当に気を張って歩かなければならない。
 わたしは、左右の確認を何回かした後に、後ろから右左折してくるバイクに突っ込まれないよう前後も何度か確認しながら交差点を渡っていた。周りから見れば、ひたすらきょろきょろしている変な人に見えただろう。

 続いて驚いたのは、現地の方々がコーヒーを飲む際の砂糖の量の多さであった。この国はコーヒーの産地であり、コーヒーは国民にとってかなり身近な存在だ。現地の方々は毎日飲むコーヒー1杯あたり砂糖大さじ3杯を、当たり前のような顔をして入れて飲む。
 現地の方々の体型は、お腹だけが異常に膨らんでいて、足はお腹に比べ細いことが多いのだが、砂糖の摂取量と関係するのだろうか。
 日本でシュガースティックを2本入れて飲むわたしは、友達に「入れすぎだ!」と言われていたが、現地の方々からは「そんな砂糖が少なくて、コーヒーを飲めるのか?」という感想をもらってしまった!
 ある時、食わず嫌いは良くないと思い、現地の方から頂戴した砂糖入りのコーヒーを飲んでみたが、座って飲んでいるだけなのに心拍が上がり動悸が始まった。
 それ以降は、砂糖を自分で入れて飲むようになった。
 この国の方々のコーヒー愛は強い。各家庭に一つ、コンロで沸かしてコーヒーを作るための専用の調理器具だってある。ただし、飲み方は人それぞれ違ってもいいのだと強く思った。

 最後に、冒頭で示した「音楽とともにある陽気な国」という側面について紹介したい。
 現地に到着して翌日、タクシーに乗った時のことだった。客であるわたしたちの乗車後、運転手は耳が割れんばかりの音楽を車内に流し始めたのだ!
 「バチャータ(Bachata)」という現地発祥の音楽が流れる中、彼は「この音楽いいだろ〜?」と曲に負けない大声で語りかけてきた。どうやら気をきかせて流してくれていたらしい。
 わたしたちは失笑しながらも「この曲は誰の曲?」と負けじと大声で質問を返したものだ。
 しかし、これは洗礼に過ぎなかった。
 現地での生活を続けていると、明らかに寝る時間帯なのに、隣家から爆音の音楽が聞こえてきてしばらく眠れなかったり、街中の至る所にあるコルマド(Colmado:日本でいうコンビニの簡易版。日用品やお酒が売られており、店先にある椅子に腰かけて談笑できる場所。)から、爆音の音楽が聞こえてきたりした。
 常夏であるこの国のコルマドで、現地の方々はこの国特有のあっさりとしたビールを片手に、音楽に合わせて踊り歌い語らっていた。
 わたしも、この店先で爆音の曲を聞きながら友人と語らっていたが、たまにそこにまざって、踊り歌う時間が好きだった。

 ここまで、3つのエピソードを通じてドミニカ共和国🇩🇴について語ってきたが、どんな国かイメージをするのに少しはお役に立てただろうか。

 前記の通り、この国の方々は音楽とともに踊ることも好きな方が多い。家の庭先で一家団欒をする慣習があるのだが、その際、誰かしらは音楽に合わせて踊る(もちろん、音楽は常に爆音で流す!)。
 これらが影響しているのか、性格は楽観的であり、たとえ喧嘩をしたとしても、翌日まで引きずらないあっさりした方が多い。

 赴任して、言語の壁にぶつかり気持ちが沈んでいたころ、わたしに会うたびに元気よく語りかけて下さる職場の方々の存在に救われることもあった。
 そんな陽気な方々にお会いすべく、カリブ海に浮かぶドミニカ共和国🇩🇴に赴くというのも素敵ではなかろうか。
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【 「   」Vol. 12〜タイ🇹🇭・ウドンターニー〜(執筆:河野美咲)】 SYSでは、「   」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの...
11/06/2020

【 「 」Vol. 12〜タイ🇹🇭・ウドンターニー〜(執筆:河野美咲)】

 SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

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 ウドンターニー(Udon Thani)という街は、タイの東北地方にある。東北部は長年、開発の遅れた地域の代名詞であったが、ウドンターニーの中心地は、デパートやショッピングモールが並んでいて、目覚しい経済発展がみられるタイの中でも栄えている街の1つである。
 しかし、街から外に1歩出ると田園風景が広がり、街の喧騒はうそのようだ。どことなく、少し懐かしい気持ちになる。そんな素敵なところだ。

 ここウドンターニーには、バンチェン遺跡(Ban Chiang)という世界遺産があり、今から4000年以上前の文化が保存されているという。私はかねてから、この古い文化に興味があり、この地を訪れることを夢に見ていたのだ。

 バンチェン遺跡のあるバンチェン村は街の中心地から60キロほど離れている。
 この国の主な移動手段は車であるため、1番楽に行く方法はホテルからタクシーを頼むことだが、はるばる日本から来たのに、ホテルの人に頼んでもらったタクシーで行き帰りするのも面白くないし、現地の乗り物の雰囲気も味わってみたい。急ぐ旅でもないので、主要都市を結ぶバスと、トゥクトゥクと呼ばれる3輪自動車タクシーとを組み合わせた手段で、バンチェン村に向かうことにした。

 計画はこうだ。
 午前中の早い時間にホテルを出て、ウドンターニーのバスターミナルからバスに乗る。
 ↓
 バンチェン村の近くからはトゥクトゥクで目的地を目指す。
 ↓
 1〜2時間ほど遺跡や博物館を見て、昼頃にはウドンターニーの中心地に戻ってくる。

 タイの朝は早い。お昼をまわると暑さで出歩くのも危険であるため、極力午前中に用事は済ませて、1番暑い時間帯は、街の中心部にあるショッピングモールやホテルにいるのが安全なのだ。

 朝、ホテルのフロントでバスターミナルまでタクシーを頼もうとすると、フロントのお兄さんに声をかけられた。
「ちょうど退勤するところだから、俺の後ろに乗りなよ!」
 私をバイクの後ろに乗せて、バスターミナルまで送ってくれた。

 タイのお兄さんと「ニケツ」である。話を聴けば、ウドンターニーには長く住んでいるものの、バンチェンには行ったことがないという。
 このお兄さんは本当に親切で、バンチェンまで行くバスは何番乗り場から出るかを確認してくれた上、バスの乗組員に私がバンチェンまで行きたいことを伝えてくれ、私がバスに乗り込むところまで見届けてくれた。
 首都バンコクでは英語が通じるものの、地方ではタイ語しか通じないことがほとんどなので、タイ語が話せないと意思疎通が上手くいかずもどかしい思いをすることが多々ある。そのため、より一層彼の親切さが身にしみた。

 バスは隣の都市のサコンナコーン(Sakon Nakhon)行きである。その中間点くらいにあるのが、バンチェン村への入口近くのバス乗り場である。道中は基本農地が広がるが、幹線道路沿いのため、途中集落や商店がみられた。

 バスに乗って1時間くらいしただろうか。バスの乗組員に降りるようにいわれた。例のお兄さんのお陰で、降りる場所は完璧だった。
 バス乗り場の周りに、バンチェン村へ行く人向けのトゥクトゥク乗り場があることは事前に調べて知っていた。
少し歩き回って探すと、トゥクトゥク乗り場らしき東屋があった。東屋といっても人が3人並んで座れるかどうかくらいの小さくて簡素なもので、そこにはラジオを垂れ流しにして、寝そべっているおじさん1人がいるだけである。
 おじさんには英語が通じなかったので、お互いカタコトのタイ語と英語で値段交渉をすると、200バーツだと言ってきた。若干高いかもしれないが、外国人向けとしてはおそらく妥当な値段であるので、交渉は成立、村まで連れていってもらうことになった。もし法外な値段を提示されていたとしても、ここにはおじさん1人しかおらず、彼に頼むほかなかったのだが。

 トゥクトゥクで15分ほど田園風景を駆けぬけると、集落にたどり着いた。バンチェン遺跡から出土した土器をモチーフにした置物が沢山売られている土産物屋や、食べ物を売る屋台が並んでいた。観光客らしい人はほとんどおらず、そのせいか主人もいない土産物屋もちらほらある。ここがバンチェン村である。

 トゥクトゥクを降りる前に、おじさんに携帯電話の番号をきこうとした。帰りの足が必要だからである。田舎の町ではタクシーやトゥクトゥクが常駐していることはないため、来た時に乗せてもらった人に待っててもらうように頼むのがセオリーである。
 しかし、おじさんは首を振った。
 「携帯を持っていない」
 カタコトの英語でそう言った(と私は理解した。以下、彼の発言は私の想像)。

 東南アジアは家庭の固定電話よりも携帯電話が先に普及したので、携帯の2台持ちをしている人も多いし、携帯電話による電子決済も進んでいる。そういった社会に染まらない人もいるのかと、なんだか少し嬉しくも思った。

 「そこで待っている」
 彼は、博物館の前のスペースを指さし、私に博物館へ行くようほどこした。

 バンチェン博物館は、国立博物館という名に相応しく、広い展示空間に対して所狭しと多くの展示物が並んでいた。じっくりみると2時間弱かかった。まだ見足りなかったが、待たせているおじさんに見捨てられると帰りの足がなく途方に暮れる。急ぎ足で博物館を後にし、おそるおそるおじさんのトゥクトゥクを探した。

 …彼はその場所にいた。
 トゥクトゥクに寝そべり、ラジオを聞いている。トゥクトゥク乗り場の東屋で見かけた時と同じ状態である。
 散々待たせたので、機嫌でも悪くしていたら申し訳ないなと思ったが、彼はそんな様子もなく、
「あそこは行かなくていいのか」
と発掘現場がそのまま残っている屋外展示場へ連れていってくれた。
 口数は少なく仏頂面だが、心優しい人柄が伝わってきた。単に意思疎通ができないから、口数が少ないと思っているだけかもしれないが。

 展示場は博物館ほど広くなかったが、見応えのあるものだった。じっくり30分ほど見ておじさんの元へ戻ると、正午を回りそうだったので帰りの途に着くことにした。

 再び田園風景を見ながら、トゥクトゥクに揺られる。牛の放し飼い、刈り取られた稲が広がるだだっ広い農地、児童の笑い声が響く校庭の広い小学校。
 現代日本に身を置いていると味わえないスローライフ感に浸った。この感覚がたまらない。東南アジアにハマる人の9割は、日本の喧騒から離れてのびのびと暮らすことに、中毒性を覚えているのではないかと個人的には思っている。

 トゥクトゥク乗り場の東屋に戻ってきた。
 長い時間お世話になったので、気持ちを上乗せしてお金を払うと、おじさんは嬉しそうに白い歯を見せて笑った。笑った顔を見るのは初めてだった。

 彼は再び東屋に寝そべり、ラジオをきいて次の客を待つのだろう。たった1人で。
 彼が、先に誰かを乗せて出ていたら…我ながら綱渡りな旅だったなと苦笑いした。

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【 「   」Vol. 11〜リトアニア🇱🇹・カウナス〜】 みなさまこんばんは🌕 代表の夏鈴です。 先週火曜日は、  ムーヴメントの一貫で、   というハッシュタグとともに、真っ黒な投稿をご覧になった方が多かったのではないでしょうか。 あれ...
09/06/2020

【 「 」Vol. 11〜リトアニア🇱🇹・カウナス〜】

 みなさまこんばんは🌕
 代表の夏鈴です。

 先週火曜日は、 ムーヴメントの一貫で、 というハッシュタグとともに、真っ黒な投稿をご覧になった方が多かったのではないでしょうか。

 あれから1週間。
 先週末(6/6-6/7)は、米国🇺🇸の首都・ワシントンD.C.、イギリス🇬🇧の首都・ロンドン、フランス🇫🇷の首都・パリなど世界各国で抗議デモが発生し、我が国🇯🇵でも大阪で行進が行われました。
 今回のムーヴメントにおいて、お亡くなりになったGeorge Floyd氏およびそのご遺族、加えて、負傷された方やネット上で誹謗中傷の被害を受けた方を思うと非常に心が痛みます。

 今回の ムーヴメントを、団体として如何に解釈し発信すべきか、代表としてかなり悩みました。
 なぜなら、ムーヴメントの発端こそ米国🇺🇸・ミネアポリスでの George Floyd氏の「個人の死」であったものの、米国史だけでも遡れば2世紀半、世界史を遡ればもっと昔から、人種差別により生命を落とされた方だけでも数千万人レベル、お亡くなりにならずとも被害をお受けになっている方の数は億単位でいらっしゃるためです。
 したがって本稿では、今回のムーヴメントを広く「人種差別問題」として捉えることとし、我が国🇯🇵の外交官であった故・杉原千畝が、第二次世界大戦時に「生命のビザ」を発給した現場であるリトアニア🇱🇹・カウナス(Kaunas)に焦点を当てます。

 言うまでもなく「人種差別問題」は、非常にセンシティブな問題です。数々の社会問題に対して「無関心」ほど残酷な姿勢はないと考えますので、敢えて本稿では言及いたしますが、あくまでも弊団体を構成する者の1意見であることをご承知おきください。

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 リトアニア🇱🇹は、エストニア🇪🇪・ラトビア🇱🇻と並んで「バルト三国」と呼ばれる国家である。第二次世界大戦中にソ連の侵攻を受けて併合されるが、1990年に独立を宣言し、2004年には欧州連合(EU)への加盟を果たした。なお、観光客には嬉しいユーロ導入国の1つであり、英語もよく通じる。

 カウナスは、リトアニア🇱🇹第2の都市で国際空港を擁する。わたしが訪問した2017年8月は、首都そして最大の都市であるヴィリニュス(Vilnius)の空港が工事中であったため、カウナス空港がリトアニア🇱🇹の玄関口として大活躍していた。

 カウナス訪問の理由は、ずばり「杉原記念館」に足を運ぶためだった。

 これまでに、負の歴史を背負った場所には、両親がたくさん連れて行ってくれていた。

 ■韓国🇰🇷・ソウル(서울)の戦争記念館(전쟁기념관)
 ■ベトナム🇻🇳・ホーチミン(Hồ Chí Minh)のクチトンネル(Địa đạo Củ Chi)/ツーズー病院(Từ Dũ)
 ■ポーランド🇵🇱・クラクフ(Kraków)のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所および博物館(Auschwitz-Birkenau)
 ■ドイツ🇩🇪・ベルリン(Berlin)のチェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)/トポグラフィー・オブ・テラー(Tophography of Terror)/ベルリンの壁跡(Berliner Mauer)
 ■オランダ🇳🇱・アムステルダム(Amsterdam)のアンネ・フランクの家(Anne Frank Huis)
…etc.

 「『テーマのある旅 in Europe』を実現させる以上は、楽しいだけの旅にはしない」と意気込んで計画したため、ベラルーシ🇧🇾・ミンスク(5/27寄稿分参照)〜英国🇬🇧・ロンドンの間に訪れる場所として、リトアニア🇱🇹・カウナスは直ぐに候補地として浮上した(最終的には、さらにチェコ🇨🇿・プラハ(Praha)を追加して旅程を組んだ)。
 何を隠そう、わたしは、ある時点まで外交官を目指していたのだ。それゆえ、カウナス訪問は、いわば聖地巡礼のような位置づけでもあった。 

 記念館自体は、とてもこじんまりとしていて、期待通りのんびりと拝観させていただけた。
 考えてみると、芸術家以外で、外国籍の誰かひとりに焦点を当てた記念館というのは、珍しいものである。日本国内で外国籍の方の功績を称える記念館が何処かにあるか?と問われても、ピンとくるものがない。せいぜい銅像程度である(大学構内にはよくあるものだ。たとえば北海道大学のクラーク博士像など)。
 第二次世界大戦終結から70年以上経ってもなお、リトアニア🇱🇹という小さな国家で、日本🇯🇵のひとりの外交官に焦点を当てた記念館が存在し、修繕工事が行われ保存活動が進められているのは、もっとも杉原千畝の功績の大きさに拠るものだろう。
 
 海外に足を運ぶ機会に恵まれてきたわたしにとって「外国(人)から見た日本(人)」は常につきまとってきたもののひとつだ。
 旅に出る目的は三者三様であるにせよ、日本人観光客の多くは「都市の喧騒から離れたい」とお考えではないだろうか🤔
 この動機をお持ちになる方を否定しないが、わたしの動機はまったく異なる、とはっきり伝えておきたい。
 幼少期は、両親が「ぜひここに」と考えた場所について行っただけだったが、年齢を重ねるにつれて「母国を外から見るために」連れて行ってくれているのかな?とぼんやり考えるようになり、高校2年時の米国🇺🇸留学に行く頃には「『自分』を客観視するために」異国に身を置くのだ!と目的が確かになった。

 リトアニア🇱🇹・カウナス訪問は、日本人としての誇りを再認識する機会となった。宿泊先であれ、パン屋さんであれ、対面機会があった現地の方のほぼ全員に「もしかして貴女は日本人?」と聴かれたものだ。「そうよ、だから(杉原記念館に行くために)カウナスに来たのよ😊」と伝えるやいなや「ようこそ!待っていたよ〜!」と温かい反応を頂戴したものだ。こんなにありがたいことはない。
 
 「可愛い子には旅をさせよ」―そう、視野を広げるために「旅」は最高の手段だ。
 杉原千畝という人徳者が、ここ、カウナスで、わたしに新たな気づきを与えてくれた。

 歴史は、つながっている。

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 上記の旅行記では、ほとんど「人種差別問題」について言及いたしませんでしたが、杉原千畝のとった行動には「反対・非難」される方もいらっしゃるので、本稿をお読みになった方のご感想は、かなり賛否両論であることが予想されます。あくまでも弊団体を構成する者の1意見であることをご承知おきください。
 「わたしは」、彼のとった勇気ある行動を心から尊敬していますし、これからもきちんと日本の教育現場で、彼の功績は正しく取り上げられてほしいと願ってやみません。

  ムーヴメントが、あらゆる報道機関/SNS等の各種媒体を席巻する状況はいつまで続くのでしょうか。
 今回、これほどまでに取り上げられたのは「米国で」「死者が出た」からに違いありません。「差別」が理由で、生命を落とされる方、怪我をされる方、そして傷ついていらっしゃる方は、世界に、そして我が国にも常に存在しています。決して対岸の火事ではありません。
 ですから今回のムーヴメントの発端となった George Floyd氏の死を無駄にしないためにも、ひとりひとりが「人種差別問題」を自分事としてとらえ、議論をすべきです。

 弊団体として本問題を取り上げるイベントを今後開催する可能性は十分にあります。「無関心」ではなく、ひとりひとりが意識を高め、行動をすることが、いまを生きるわたしたちに求められています。
 
 いま一度、George Floyd氏の死から惹起された一連の抗議活動を捉え直してみてください。

 ここまでお読みいただき誠にありがとうございました。今後も、弊団体をどうぞよろしくお願い申し上げます。

 *SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

 これまで、
 ドイツ🇩🇪・ミュンヘン
⇨米国🇺🇸・アラスカ
⇨ミャンマー🇲🇲・バガン
⇨ルワンダ🇷🇼・キガリ
⇨セネガル🇸🇳・ダカール
⇨ベラルーシ🇧🇾・ミンスク
⇨フランス🇫🇷・グラース
⇨ベトナム🇻🇳・ホーチミン
⇨オーストラリア🇦🇺・東南海岸部
⇨イギリス🇬🇧・オックスフォード
 と私も含めたメンバーでバトンを繋いでおります🏃

【 「   」Vol. 10〜イギリス🇬🇧・オックスフォード〜(執筆:新妻千紗)】 SYSでは、「   」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメン...
07/06/2020

【 「 」Vol. 10〜イギリス🇬🇧・オックスフォード〜(執筆:新妻千紗)】

 SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

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 ロンドンからバスに揺られて約2時間半――私は、春休みの約1か月間を使って、オックスフォード(Oxford)の隣町にある留学学校の寄宿舎に滞在した。学生最後の春休みを、半分は語学の勉強に、もう半分は異国の地での観光に費やすことにしたのだ。

 オックスフォードの中心街までは寄宿舎から徒歩で30分程度なので、空いている時間を使って何度もオックスフォードへ足を運び、町の中にある美術館や博物館を訪れた。

 イギリスの観光地というと、ロンドンにあるナショナル・ギャラリー(National Gallery)やテート・モダン(Tate Modern)が有名だが、オックスフォードにあるアシュモレアン博物館(Ashmolean Museum of Art and Archeology)やオックスフォード大学自然史博物館(Oxford University Museum of Natural History:本稿写真)、ウェストン図書館(Weston Library)なども見どころとなっている。
 これらの場所に足を運び、豊富な作品数と興味深い展示に驚かされたので、感じたことをいくつか紹介する。

 👉1。美術作品の前に座り込んで模写に勤しむ美大生らしき女の子たち

 👉2。子どもたちのための充実したワークショップ

 👉3。ゲーム感覚で学ぶパネル展示 "Alice in Typhoidland"

 順に言及していこう。

👉1。美術作品の前に座り込んで模写に勤しむ美大生らしき女の子たち

 アシュモレアン博物館でのこと。ある展示スペースにたどり着くと、大きな金属製の彫刻作品の前に2人の女の子たちが座り込んでいた。「おお……そこに座り込んでしまうのか……」と思いながら、そばを通り過ぎようとすると、なにやら彼女たちは一生懸命手元のノートに何かを書き込んでいる。思わずちらりと覗き込むと、まさに目の前の展示作品が精緻に描かれていたのだ。
 同じく通りがかった警備員さんも彼女たちの作品を見て、感心しながら通り過ぎていく。こうした利用者と作品との距離感は、日本の美術館ではあまり見られない光景だなと感じた。

👉2。子どもたちのための充実したワークショップ
 日本でも子どもたちを対象としたワークショップがある美術館や博物館が増えてきたように思うが、要予約制であったり、イベント的に開催されるだけであったり、とまだあまり身近でないように思う。
 "DROP-IN -- CRAFTY SATURDAY" と書かれた立て看板のそばのオープンスペースで、子どもたちが親と一緒に色紙や色鉛筆を使って創作をしていた。館内には、過去に開催されたワークショップで作られた子どもたちの作品の展示スペースもあった。
 自分の作品が公共の場に展示されるという体験もまた、利用者と美術館との距離を縮めることにつながるのだろう。

👉3。ゲーム感覚で学ぶパネル展示 "Alice in Typhoidland"
 「"Typhoidland"とはまた随分なネーミングセンスだな」と思ったのは私だけではないだろう。直訳すると「腸チフスの国のアリス」。全くかわいくない。否、可愛さはもとより求めていないのだろう。イラストレーションもどちらかというと可愛くないほうに寄せている気もする。
 ヴィクトリア時代のイギリスで、如何に腸チフスが多くの方々の生命を奪ったのか。いまもなお世界中で人々の健康を脅かす腸チフスについて学ぶタッチパネルが、ウェストン図書館のエントランスに設置されていた。
 町の方々に話を聴いたりミニゲームを操作しながら、腸チフスの感染源や当時の衛生上の問題を学ぶという構成になっている。これがいわゆるミステリーゲーム的に、町の方々への話の聴き方によっていくつもパターンが生まれるようになっていた。利用客がたまたま少なかったことをいいことに、一人で熱中してしまった。
 腸チフスについて歴史学として学ぶにしろ、生物学として学ぶにしろ、こうした展示に触れることができれば、腸チフスに留まらず感染症や衛生学に興味を持つ良い機会になると感じた。

 日本国内の美術館に行くと、時折「なんでこんなニッチな美術展に海外からの観光客が……」と驚くことがある。もちろん有名な美術館や博物館は観光地になっていて、そのためにその国を訪れる方はたくさんいる。
 私自身、好きな画家や作品の展示があれば足を運ぶかもしれない。しかしながら、観光に訪れた国でたまたま見つけた美術展に気軽に足を運ぶ積極性は、海外の方々の「美術館との距離の近さ」によって培われるものなのかもしれない――今回観光としてオックスフォードの美術館と博物館とを訪れて、日本と海外の美術館や博物館のあり方の違いを改めて感じることになった。
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【「   」Vol.9〜オーストラリア🇦🇺・東南海岸部〜(執筆:古林慧一)】 SYSでは、「   」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの...
03/06/2020

【「 」Vol.9〜オーストラリア🇦🇺・東南海岸部〜(執筆:古林慧一)】

 SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

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 私は今までに3度、オーストラリアへ観光へ行ったことがある。
 のんびりとした空気、どこまでも広がる大陸や自然、日本とは真逆の季節…そういった要素が気に入った。

 「アフターコロナでしてみたい旅」ということで、今回は、初めてオーストラリアへ行った際の旅を振り返ることにする。



 2017年3月、当時大学生だった私は同期の数名と共に出国した。旅の目的はずばり「OZ爆走」。車を借りて、東海岸を南北縦断してしまおうというのだ。

 成田から8時間くらいだったろうか、一行はオーストラリア北部の都市ケアンズ(Cairns)に降り立った。出発地点は、凡そ3,000km南のメルボルン(Melbourne)を予定していたが、トランジットまで時間があったため、空港の周りを散策することにした。

 明け方にも関わらず、東京の夏よりも酷い湿潤な空気がまとわりついた。それもそのはず、南半球のオーストラリアにとって、ケアンズは "North Tropical" なのである。そんな違いに感動しつつ、我々はメルボルンへ飛んだ。

 2日程度はメルボルンにいただろうか。街の中心部にはヤラ川(The Yarra River)が東から西に流れ、川の景観を活かしたウォーターフロントな街づくりがなされている様子を、ぶらぶらと観て回った。賭けこそしなかったものの、カジノなんかもふらふらと覗いてみた。



 そして出発の朝は来た。ヒュンダイの馬鹿でかい8乗車を借り、大型車の運転に不安を抱きつつ、メルボルンの某駐車場から旅は始まった。

 ちなみにオーストラリアは左側通行であるため、日本人にとっては非常に車が運転しやすい。田舎の大学に通う我々の大半は車を有し、日常的に乗り回していたおかげで、運転そのものへの心配はなかった。

 ただし、オーストラリアは交差点が少ない。代わりにラウンドアバウト、すなわち、環状交差点が多く導入されている。そのため、ぐるぐる回っているうちに目指すべき方角を見誤ることが幾度かあった。

 渋滞に捕まりながらも、メルボルンの中心部から車を小一時間走らせると、徐々に郊外へ出た。気がつくと高層ビル群は、だだっ広い地平の向こうに生えていた。

 そして高速へ出たとき、ワッと歓声が上がった。道路の両脇は手付かずの大自然が、ただ悠然と広がっていた。
というより、そんな大自然の中をたった1本の高速道路が貫いていた。この景色を我々は見たかったのだ。



 旅は概ね順調だった。2、3日に一度モーテルなどに宿泊したが、他は車中泊をした。長距離移動をする多くの運転手のために、オーストラリアの道路沿いにはところどころキャンピングエリアがある。といっても我々が思い浮かべるようなキャンプ場ではなく、要は、だだっ広いパーキングエリアだ(なお、決められた場所以外で野宿をすると罰せられる)。

 街灯も少ない荒野のど真ん中では、度々天体観測をした。南十字座をはじめ、りゅうこつ座や羅針盤座、コールサックなど、とにかく見るものはいくらでもあった。

 明くる朝、荒野を臨みながら用を足していると、向こうのほうをカンガルーが横切った!野生のカンガルーを目にした我々はテンションが上がった。
 しかしオーストラリア人たちにとって、カンガルーは決して珍しいものではなく、ごく日常に潜み、よく車と衝突し、スーパーでは食肉として売られている。
 かくいう我々もカンガルーのソーセージを焼いたり、ソーセージをこねてハンバーグにしてしまった(!)。

 そんな旅を1週間ちょっと続けた。キャンベラ(Canberra)やシドニー(Sydney)、ゴールドコースト(Gold Coast)に途中立ち寄り、お手本のような観光客を演じた。
 日程的に車での南北縦断は断念し、中間地点よりやや北のブリスベン(Brisbane)をゴールとした。そして、ブリスベンからケアンズへ飛行機で戻り、最後にケアンズで観光をすることにした。

 この旅を振り返ってみると、なんと言っても自分たちで「ドライビング」して1,500kmを走破したその馬鹿さ、そして新しい街へ辿り着いたときの安堵まじりの達成感、そういった経験をしたことが大変に貴重だと思う。

 当時の私は、進路に悩んでいたという背景もあり、ひとつの経験に対してひとつの結果を得ようと躍起になっていた。
 いま思えば、インプットに対するアウトプットにはタイムラグがあるのだから、そんなに焦るものでもなかったのだ。

 こうして自分の言葉で話せたときに初めて、その経験が自分の中で完結していたことを知る。

 いつかまたオーストラリアへ行くだろう。次回はダーウィン(Darwin)で自然観察をしたい、というのが今のところの夢だ。
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 みなさまもいつか是非オーストラリアへ。アフタヌーンティーやワインツーリングといった素晴らしい文化、そして壮大な自然があなたを待っています。

【「#SYSポストコロナトリップ 」Vol.8~ベトナム🇻🇳・ホーチミン(執筆:松島徹)】 みなさまこんばんは。 緊急事態宣言が各地で解除され、少しずつ日常が戻りつつある方もいらっしゃることとご想像いたしますが、いかがお過ごしでしょうか。 ...
02/06/2020

【「#SYSポストコロナトリップ 」Vol.8~ベトナム🇻🇳・ホーチミン(執筆:松島徹)】

 みなさまこんばんは。
 緊急事態宣言が各地で解除され、少しずつ日常が戻りつつある方もいらっしゃることとご想像いたしますが、いかがお過ごしでしょうか。

 まだまだ気の抜けない生活が続きますが、少しずつ外に出て行けるようになることを願っています。

 さて、本日は、私のおすすめの旅先であるベトナムを、これまでのシリーズ記事の「旅行記」とは異なり、「ベトナムに足を運ぶべき方はこんな方!」という観点でご紹介いたします。
 というのも私自身が、2017年の3月から7月までの凡そ4ヶ月間、海外インターンおよび日本語学校立ち上げの手伝いのため、ベトナム最大の経済都市であるホーチミン(Hồ Chí Minh)に滞在していたためです。「数日間の旅行」ではなく、「数ヶ月間の現地滞在」でこそ得られた視点で、魅力をお伝えしてまいります。

その1☝️
「海外滞在経験があまりないが、とにかく安く、異文化に身を置いてみたい方!」

 みなさまは「異文化」とお聞きになって、どのような光景を思い浮かべるでしょうか。
 アメリカやヨーロッパといった欧米地域、あるいは、遠く離れた南米やアフリカを思い浮かべる方が多いかもしれません。

 しかし、それらの国に足を運ぼうものなら、航空券は高価ですし、欧米地域となれば物価が高い国も多く、滞在費を合わせるとかなりの出費が予想されます。

 一方で、東南アジアは、日本から距離が近いため航空券は安価で手に入り、物価も安い国が多いです。

 中でもベトナムは、下記の観点からおすすめ度が非常に高いです。

■比較的政情が安定しており、治安が良い点。

■自然・史跡・グルメ・ショッピング・アクティビティなどの観光資源が豊富である点。

■親日国のひとつであり、我々日本人に対してフレンドリーな方が多い点。

 「初めての海外、せっかくなら冒険をしたいけれど、出費はできるだけ抑えたい…」とお考えになる方にとっては、ぴったりの旅先といえるでしょう。

 せっかくなので、おすすめを列挙いたします。

■自然:ブンタウ(Vũng Tàu)のビーチ

■史跡:クチトンネル(Địa đạo Củ Chi:ベトナム戦争時代の遺構)

■グルメ:バインミー(Bánh mì)・フォー(Phở)・ロウハイサン(Lẩu Hải Sản:海鮮鍋)

■ショッピング:ベンタイン市場(Chợ Bến Thành:複数の市場を回るのも◎)

■アクティビティ:メコン川(The Mekong River / Sông Cửu Long)での川下り/カイラン(Quận Cái Răng)地区での水上マーケット巡り

 列挙したもののうち、ホーチミン市中心部から2〜3時間かかる場所もあるので、行く前には入念な下調べを!

その2✌️
「数十年前の日本を疑似体験したい方!」

 ホーチミンに駐在していらっしゃる50代の日本人男性が「ベトナムは高度経済成長期の日本とそっくりだ。」と仰っていました。

 私自身は1995年生まれであり、高度経済成長期を目の当たりにしていないため、あくまでもその方にお伺いしたご意見ベースとなりますが、下記のような共通点が挙げられそうです。

■個人商店や屋台が多い点。

■公共交通機関の整備途上である点。

■町に暮らす方々から、どことなく活気を感じられる点。

■急速な都市開発により、次から次へと町並みが変わっていく点。

 タイムスリップをしたような感覚を抱けるのは、貴重な経験となるのではないでしょうか。

 さて、2つの観点をお読みになって「我こそはベトナムに足を運ぶべき者!」とお思いになった方には、ぜひ少し長めの日程で、主要な観光地に限らず、ローカルな市場や町中も歩いてみることをおすすめいたします。

 私は数ヶ月間の滞在中、新興国ゆえのトラブルあり、また笑いありの波瀾万丈な毎日を送りました。様々な出逢いに恵まれ、今でも、現地の方およびベトナム駐在の日本人の方と連絡を取り合っています。COVID-19感染拡大防止のための渡航制限が解除されたら、直ぐにでも行きたいなぁと思っています。

 みなさまも是非、海外に行けるようになったら、ベトナムを行き先候補の1つとして考えてみてください。

 *SYSでは、「 」と題して、COVID-19が収束するまで、メンバーがこれまでに経験した旅行を紹介してまいります🌏🌍🌎。様々なバックグラウンドを持つメンバーの旅行記、ぜひご覧ください✈️

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